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2013年2月 6日 (水)

2月号表面内容

 今月配布しています、私の市政報告の表面です。長文ですが、私のここ数年の動きがわかって頂けると思いますので、是非とも読んで頂ければと思います。
よろしくお願いします。<(_ _)>

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 1月20日、本市の市長が変わりました。私の所属する会
派「畷市民クラブ」の3名は、議会において与党や野党と言う考え方ではなく、各議案ごとに長期的な視野も含め真剣に議論し、常に是々非々で臨みたいと考えています。

 さて、私は、45才で市長選挙に初めて挑戦しましたが敗北。その後、46才で市議になるも任期途中の49才で再度市長選挙に挑戦し、またしても敗れました。そして、2011年4月の統一地方選挙で再び市議選挙に挑戦したのですが、今までの無所属と違い民主党で出馬することにしました。当時は菅内閣で、3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震の対応が悪く、国民の党に対する信頼はすでに無くなっており、上の表に示されている通り内閣支持率は最悪で、4月時点で民主党の支持率は19.2%、対する自民党の支持率は23.3%(NHK調査)でした。私の判断に、後援会、また、支持者からも落選するつもりかと強く反対されましたが、私が二期目に市議選へ出馬するには絶対に曲げられない選択だったのです。

 理由は、民主党の支持率がどれだけ悪くても政権与党であり、且つ、この地域(大阪12区)選出の樽床前衆議院議員が要職につく可能性が高かったからです。

 平成25年1月1日現在、市町村の数は1742(指定都市の行政区の数は除く)あり、平成の大合併前にはこの倍もありました。これだけの数の市町村のほとんどは疲弊しており、どこも国に対して要望書を提出するなど自治体運営に苦労しています。しかし、どれだけ国へ陳情しようとも、政権与党以外の要望を聞き入れて頂く事は難しくなります。また、政権与党でも重要なポストについている衆議院議員の地域から要望を聞くのは言わずもがなです。本市も町の時代から、また、1970(昭和45)年7月に市制施行されてからも、国へ要望を受け入れて頂くには相当の努力が必要でした。

 逆風の中、何とか二期目を当選し、昨年末に政権交代が起こるまでの約1年8ヶ月、私の議員活動は、そういう意味で国に対してが主となりました。本市の要望書も私を通してのみ国へ上げられる事になり、また、何度も東京へ行き直接官僚へ陳情をしました。

 樽床前衆議院議員が党の幹事長代行(2011年8月31日)、そして、 総務大臣 (2012年10月1日) へと要職に就くにつれ、交付金の増額や、何年も国の予算がつかなかった電通大と本市とのスポーツ・レクレェーション施設の整備事業計画も動きだしました。

 まだまだ、多くの陳情を国にしていましたが、重要なもので言えば、国からの特別交付金に上乗せされる地域手当アップです。職員の給与にも反映されますので職員の士気も高まり、且つ、本市の財源も増えるこの地域手当は、0、3、6、10、12、15、18%とあり、近隣市で言えば大東市が10%、寝屋川市が12%、守口市と門真市が15%、生駒市が6%でありながら本市は3%なのです。せめて6%との要望をしており、人事異動のあるこの春には総務省へ再度陳情しに行く予定でした。

 しかし、政権与党が民主党から自民党へ変わり、国とのパイプ役であった私の役目もここまでとなりました。今後は、四條畷市議として市民の為の活動に徹します。

 本市の今後を考えますと、自民党と関係の深い方が本市の市長になられれば、陳情は受け入れられずとも引き継いでは頂けたのでしょうが、新しい市長は大阪維新の会所属とのこと。府との関係は密接になるでしょう。しかし、国とのパイプについて、現時点では政権与党でない日本維新の会がするのでしょうから厳しくなるのは仕方ありません。後は、自民党所属の議員を通じて私が上げてきた国への陳情を引き継いで頂く事を願うばかりです。

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